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【news】不幸は神の仕業、教会襲撃のきっかけは思い込みか…?
2010-07-06 Tue 09:15
幸は神の仕業、教会襲撃のきっかけは思い込みか…?
(7月4日23時6分配信 産経新聞)

 「キリスト教は良い宗教だ」。池田容疑者は以前、聖書を熟読し、毎日教会に通う熱心な信者だった。転機は心酔していた牧師との別れ。「見捨てられた」と恨みに思い、次第に「自分の周りの不幸は神の仕業」と思い込んで教会襲撃という極端な行動に走った。

 池田容疑者が兵庫県川西市のプロテスタント系の教会を初めて訪ねたのは23歳のころ。同居する父親(61)らによると、池田容疑者は大阪府内の公立高をわずか半年ほどで中退後、数年間にわたって職を転々としており、当時、バイクで暴走するなど生活が荒れていたという。

 「十字架のネックレスをください」と申し出た池田容疑者を、牧師は「教会に通いなさい」と諭した。池田容疑者は牧師の人柄にひかれ、毎日教会に通い、掃除や信者の送迎など熱心に奉仕。聖書を熟読し、内容を短冊に書き写して自室に張った。

 しかし2~3年前、牧師が海外留学したのを機に、「見捨てられた」とふさぎ込むようになった。教会の関係者は「心の支えを失ったようだった」と話す。

 父親や親族の病気を「神の仕業」と決めつけ、「これだけ奉仕したのに」と嘆いた。やがて「教会は不幸を招く」と礼拝をやめた。

 父親によると、池田容疑者はこのころ「神の声が聞こえる」と言い始め、夜中の外出が多くなった。事件の始まりもこの時期と重なる。

 「まさかお前じゃないやろな」。今年5月、事件を伝える新聞を読んだ父親が尋ねた。池田容疑者は「何でそんなことせなあかんねん」と否定したが、新聞を持って自室にこもった。以来、事件は止まった。

 4日早朝、捜査員に任意同行を求められた池田容疑者は犯行を認め、「申し訳ない」と家族に言い残して家を出たという。父親は「きちんと償いをしてほしい」と話している。






2008年9月以降、大阪や兵庫などで教会に消火器が投げ込まれる事件が続発していたニュースの続報です。
ついに容疑者が送検されたようです…。

なんていうか…。この人のこれまでの心情の変化を考えていたら、なんとも言い切れない気持ちになりました。

きっとその牧師さんは、本当にいい牧師さんだったんだろうね。
だからこそ、この人にとってその牧師の先生は大きな心の拠り所になっていったんだろうと思うけれど。


…でも、ちょっとばかり依存し過ぎたかな。


「キリスト教は良い宗教だ」なんて、そんなにはっきり言い切って盲信するのは危ない。

世の中にある全てのものにはね、必ず「光」と「陰」があるものなんです。

それが「キリスト教」だろうが、「聖書」だろうが、「牧師の先生」だろうが同じ事。


この生きるには辛く長い人生の中で、「これだけは間違いなく信じられる」というモノが何か一つくらいあって欲しいっていう気持ちはよく分かるんです…。

でも残念だけれど、そんなモノがこの世に存在するなんて思い込むのはある意味それは現実逃避であり、幻想です。

キリスト教を含めた「宗教」だけは特別だ。

「宗教」は自分を救ってくれる

「宗教」だけは絶対に信じられる…。

そんなふうに、盲目的に思い込むのはあまりにも危険極まりない行為です。

ある時、心の底から信じていたそれに万が一失望する出来事が起こったとき。それが一気に負の感情へ変わってしまいます…。


決してキリスト教を含めた、宗教を否定しろと言っているんじゃありません。

宗教というのは、これまでの歴史に於いて様々な地域に住む人々の文化・芸術・思想・道徳などなどの基盤となってきた、絶対に無くてはならないものです。だから、それぞれの人の中に、それぞれの信仰があって然るべき…。

…でも、一人称的な目線の信仰ばかりじゃ駄目なんです。もっと視野を広く持たないと。

自分の目線、相手の目線、社会全体の目線…。

そういう様々な目を持って考える事が出来ない時、宗教は間違った方向へ人を突っ走らせる事になっちゃうんです。


盲信。
それだけは決してあってはならない事だと、自分は思います。

それにこの事件には、現代のキリスト教が抱える「陰」の断片が凝縮されているようにも見えます…。

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【news】同性婚認める法律が成立 アルゼンチン
2010-07-17 Sat 18:09
性婚認める法律が成立 アルゼンチン
(7月16日8時56分配信 日本テレビ)

 南米・アルゼンチンで15日、同性同士の結婚を認める法律が可決、成立した。南米での同性婚の合法化は初めてとなる。

 15日の上院での審議は14時間以上に及び、賛成がわずかに上回って、南米初となる同性婚を認める法律が可決、成立した。議会前では、未明にもかかわらず、大勢の同性カップルや人権団体などが集まり、法律の成立を喜んだ。

 アルゼンチン国内では、今回の法律の成立を望む声が多かった一方で、敬虔(けいけん)なキリスト教徒を中心に強い反発の声も上がっており、教会を中心とする大規模なデモが行われている。






残念だけど、現在のキリスト教会では「同性愛は聖書の教えに反する」という考えが主流を占めています

ローマ・カトリック教会は、同性愛を否定する声明を発表しています。プロテスタント系の教会の中には、積極的に同性愛者を受け入れている教派も沢山あるけれど、同じ教派の中でも肯定派と否定派が存在しているのが現状です。

でも、そもそも…。
同性愛否定派の主張する「同性愛は聖書の教えに反する」って、一体どういう事なんだろう…?

たぶん、それは旧約聖書・創世記の中で語られる「ソドムの町の物語」を根拠にしてるんだろうと思います。


「ソドムの町の物語」

ある時、神様は悪徳が栄えた町ソドムを滅ぼそうとしました。しかし正しい人が十人いればソドムを滅ぼさないとアブラハムに約束し、二人の使いをソドムに送ります。神の使いはアブラハムの甥ロトの家に泊まります。するとソドムの男たちは神の使いを襲おうと、ロトの家に押しかけて来ました。結局、十人の正しい人がいなかったソドムは滅ぼされ、ロト一家だけが救出されました。



…こんなお話です。

だけど聖書のこの箇所だけ取り上げてみても、結局ソドムの罪が何であったのかという具体的なことに関しては、じつは一切書かれてないんですよね…。

でも何故か、いつの間にかソドムの罪は男色であったというふうに解釈されるようになってしまったんです。

アメリカの一部の州では、今でもこの物語に基づいた法律「ソドミー法」が施行されています。生殖に結びつかない特殊な性交(…と、法律が解釈する全ての行為)を全面的に禁止してるんです。

この法律のため、自宅で性行為を行なっただけで、同性愛のカップルが逮捕されるという事件も起こりました。でも2003年6月、このソドミー法には違憲判決が下されています。


他人事とは思わずに、どうかみんなも少し考えてみてくださいね。


一部の過激なキリスト教徒の中には、同性愛者は神の怒りを買って国を滅亡に導く恐ろしい存在であり、市民として人権を守られる価値さえないと考える人もいます。

こういった人たちのことを「ホモフォビア(同性愛者嫌い)」と呼んだりもします。

アメリカでは、同性愛者だというだけで暴力を振るわれるという事件も起こってるんです。

そこまで過激でなくても、同性愛者を教会の一員として受け入れるべきではないと考える人もいます。

また、教会は同性愛者を受け入れるべきだけど、同性愛者は自らの生活を悔い改め、異性愛者として生きるか、禁欲するべきだと考える人もいます。


逆に、同性愛を肯定的に捉えるキリスト教徒もいます。彼らは同性愛者も神様がそういうふうにつくったのであって、異性愛者と同じように祝福されていると考えます。


どっちが正しいんだろ?


どっちも正しいのか…?

あるいは、どっちも正しくないのか…?

何か大事なことを見落としてるのか…?


みんなは、どう考えますか?

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【news】都市部で増えている? 無宗教葬を希望する人
2010-07-24 Sat 18:31
市部で増えている? 無宗教葬を希望する人
(7月22日16時22分配信 Business Media 誠)

 あなたが希望する葬儀スタイルは? 首都圏に住んでいる人に聞いたところ、「仏教」と「宗教は信仰していないが、仏教で行う」を合わせると59%に達していることが、日比谷花壇の調査で分かった。ただ「無宗教」葬を希望する人の割合が、日本消費者協会による調査(2007年に実施)では7.8%であったのに対し、今回のアンケートでは14%。首都圏に住む人の間で、無宗教葬を希望する人が増えているのかもしれない。

 またどのくらいの予算で葬儀を考えますか、と聞いたところ「分からない、考えたことがない」(26%)と答えた人が最も多かった。次いで「50万円以上100万円未満」(19%)、「10万円以上50万円未満」(8%)、「100万円以上200万円未満」(7%)と続いた。






増えてきてるみたいですね、無宗教葬

結婚式でも神様の前で互いに愛を誓い合うキリスト教式のスタイルではなくて、立会人の前で誓約をする「人前式」というのが増えてきてるみたいですけど。これはその葬儀ヴァージョンといったところなんでしょうか?

最近、無宗教葬が選ばれはじめている理由ってなんなんだろう?

今では寺と檀家との関係が弱くなってきた。
葬儀を「死者をあの世に送るための宗教儀礼」ではなくて、「死者との別れ」であるとする考えが生まれてきた。
非宗教化が進んできた。
「自分らしい葬儀」を求める人が増えてきた。

…理由は色々ありそうですね。


…そういえば、話はずれますけど。
葬儀に関してこんな話を思い出しました。

ある日クリスチャンホームで育った友達と一緒に飲んでいたときに、話が葬儀の話題になりました。
その方はつい最近、仏教式の葬儀へ参列したんだそうです。

でも、彼が言うには「やっぱり仏教式の葬儀には違和感を感じる」んだそうで…。

どうしてかと理由を尋ねてみたら。
お経を読み上げたあとお坊さんが色々と遺族の方々に対して今後の「指南」を語ったりしますよね。このあと、故人の為にどんな事をしてあげなければならないのかを細かく語ったりするワケですけど。

初七日法要だとか、中陰・忌中の過ごし方だとか、色々細かい儀式や様式があったりします。


つまり、それが「面倒くさいだろう…」ということらしいんです。


…というのも。
キリスト教では、人が死んだらその魂は即刻天国行きなんです。

故人は何も迷うこと無く、そのまま GO GO HEAVEN!! なんですよね。

だから、キリスト教の葬儀はじつにシンプルです。

しかも、キリスト教では人が亡くなる事を「天に召される」と言うように。どちらかと言えば神様のもとに旅立てる喜ばしい事なので、比較的明るい雰囲気の中で葬儀が執り行われます


なので、キリスト教文化にどっぷり浸かった人からしてみれば「死者が迷わないように成仏まで導いてあげる」という仏教の教えは、若干わずらわしく感じるかもしれない。さらに、キリスト教の葬儀とは違い、みんな苦痛の顔を浮かべて執り行われる葬儀に違和感を感じたとしても、確かに不思議ではなかったのかもしれませんが…。


でも、仏教ではそうじゃないんです。


仏教による葬儀の本質は、死者を彼岸(あの世)に受け渡すことにあるワケで。「成仏する」という表現は無事に死者をあの世に送ることを意味しているんです。

死者が迷わず向こうまでたどり着けるように、苦しみを共にしながら遺族が最期の最期まで一緒になって導いてあげる…。

それが仏教の考え方なわけだし、そしてそれは素晴らしい考え方の一つだと思うんですよね。


だから「仏教式の葬儀は面倒くさいし暗い、キリスト教式の葬儀のほうが明るくシンプルで素晴らしい」と言ってしまうのは、それは完全にキリスト教目線だけで語ってしまっているのであって、仏教のことを何も理解しようとしていないから出てくる自己中心的な考え方なんだと思います、やっぱり…。


もちろん、この逆も然りではあるんですけどね…。

仏教式の葬儀に慣れ親しんだ人がキリスト教式の葬儀に参列した場合、やっぱり色んなカルチャーショックを受けると思います。

でも、それは仏教とは異なる、キリスト教の教えにもとづいた儀式なのだから。仏教式の葬儀の常識とは違っていて当然なんですよね。


…なんか、本当に当たり前の事を言っているようなんだけど、これを受け入れられない人(他の文化との違いを認められない人)というのは意外と多いです。


ところで、話は戻って…。

この無宗教葬は最近徐々に増えてきているのは間違いないけれど、それでも「私は無宗教者です」と名乗る方々全てに受け入れられるにはまだまだ時間がかかりそうなんです。

それはどうしてなんだろう?

それはやっぱり、さっきも言ったように「成仏」が関係してるようなんです。

つまり、宗教儀礼の伴わない無宗教葬だと、故人がしっかり成仏出来ないんじゃないかと。そこの点がどうにも不確かで怖いって言うんですね。


…でも、これってよく考えたらちょっと矛盾してますよね。


「成仏」という考え方を信じているのであれば、それは誰が何と言おうと、その時点でその方は立派な「仏教徒」だと思うんだけど…。
それなら迷うことなく素直に仏教式のお葬式を挙げれば良いのになー…、と思うんです。

それを何もムキになって、「いや、それでも私は無宗教だから…」と意地を張る必要もないのになー…、と。

これは現代の日本人にとっての「宗教」って一体なんなんだろう?という問題ともつながってきて、それについても語りたい事は山ほどあるんですけど。


でもその話はまた後日ということでー、今回はこのへんにしておきますね。

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